本物の出会いを引き寄せる自分になる ~三法行~

人間に備わっている2つのおもい

頭の中でいろいろ理想を描いても、思ったように生きていくことは、なかなか難しいものです。それどころか、追い求めれば求めるほどに、幸せは遠ざかっていくかのよう……。
一体、なぜでしょうか。

人間には2つのおもい、「観い(おもい)」と「思い」が備わっています。
「観い」を簡単に説明すると、一人ひとりのなかに眠っている「無意識」と言い表すことができます。そして意識としてとらえることのできるのが「思い」です。

私たちを構成している、身(肉体)と心(思い)と観い

私たちという存在は、

①身(肉体)②心(思い)③観い

この三つで構成されています。人間はこの三つが組み合わさることで初めて、今を生活することができるのです。

私たちは「身(肉体)」があることで、あらゆる物に触れ、あらゆる現象に関与することができます。

また「」によって物事を考えることができます。これはいわゆる頭の中での「意識の働き」で、自らの意思でコントロールできる部分、知性と呼ぶこともできます。

そして心とは反対に、「無意識」とも呼ぶべき「観い(おもい)」というものが私たち人間の中枢に存在しています。

この 「観い」こそが、 身と心を統括し、健康状態や生活の善し悪しはもとより、目の前に起こる現象、人との出会い、すべてを創り出すエネルギーなのです。

理想通りの生活ができないのはなぜ?

「幸せになりたい」「あの人に振り向いてもらいたい」
こうした意識できるおもいは、頭の中で考えたいわば首から上の意識の「思い」です。

ところがこうした思いとは裏腹に、「どうして今の自分は幸せじゃないんだろう」と、首から下の無意識の自分がささやくことがあります。

幸せになりたいとおもえばおもうほど、それと相反する形で現実の自分があったり、自分をとりまく現象が起きたりすることがあります。

それはなぜでしょう?

頭の中で「こんなことを思ってはいけない」「イライラしてはいけない」とおもえばおもうほど、イライラや憎しみが込み上げてきてしまう。
こんな経験はないでしょうか。

頭でわかっているけれど、コントロールできない自分。

このように意識ではコントロールできない無意識の自分である「観い」が生活を作っているからなのです。

今の生活は撮影された観いの結果

※音声はありません

「観い」がよろこびであれば、心も体も軽く、良い出会いも多くなります。

逆に観いが苦であれば、心も憂鬱で体も重く、トラブルの多い出会いが多くなっていきます。

私たちの心臓は1日およそ10万回鼓動を打ちますが、
その心臓が1回鼓動を打つたびに、「よろこび(プラス)」か「苦(マイナス)」の観いが映画のフィルムように撮影されています。

そしてその撮影されたプラス・マイナスの結果が翌日以降の生活で上映されます。

つまり、今の生活状態は昨日までに撮影された観いの状態がそのまま反映されているのです。

観いにプラスが撮影されれば、良好な人間関係や、仕事の成功、健康など、幸せな生活が表現され、逆に観いにマイナスが撮影されれば、人間関係でのトラブル、家庭不和、病気など、下降気味の生活が表現されてしまいます。

このように観いが生活を作り出すもとなのです。

ということは、「今」の観いがプラスなのかマイナスなのかがとても大切なことなのですね。

求めれば求めるほど遠ざかる

ただ問題なのが、前述の通り無意識である以上、意識して観いをプラスにコントロールすることはできません。

プラスになりたいと「求める」行為は、今、マイナスであることを無意識に刻み、苦の観いが記憶されてしまいます。

「幸せになりたい」と頭の中で願っても、現実にそうではないギャップを感じるたびに、また「苦の観い」を刻んでしまいます。

このように、願って、求めてみても、その逆が記憶されていきます。

求めれば求めるほど遠ざかるといった経験がある人もいるのではないでしょうか。

願い求めるほど理想から遠ざかってしまうのなら、どうしたらいいのでしょう。

それは、その願い求めるという行為を一切もたないところに、「よろこびの観い」を記憶させていける鍵があります。

観いをプラスに変える三法行

「観い」をプラスに変えるのが「三法行(さんぽうぎょう)」という実践法です。

願い求める気持ちは一切もつ必要がなく、生活の中でただただ無理なく行うことで、無意識によろこびの観い(プラス)を刻んでいきます。(「ただ」とは見返りや効果、ご利益を求めないことをいいます)

「三法行」は、1日のうちわずかな時間を使って、薄く書かれた「般若天行(はんにゃてんぎょう)」をただ書きなぞる「法筆(ほうひつ)」、ただ唱える「法唱(ほうしょう)」、座して自然のエネルギーを吸収しつつ深呼吸をただくり返す「法座(ほうざ)」という3つの「行」によって構成されています。

この3つを繰り返すことで、自然の波長に近づき、不思議とプラスの観いが刻めます。

形式に一切こだわらず、俗に言われるような「無心の構え」も必要とせず、頭の中にどんな雑念が起ころうとも気にせず、ただただ繰り返してみます。

この行が自然に行え、なんとなく生活に溶け込んできたとき、不思議とこだわりが取れ、だんだんと身体や気持ちが楽になり、自分自身や生活に変化があらわれ、本物の出会いを引き寄せる自分に近づいていくことでしょう。

三法行の体験談はこちら

【Q&A】なぜ般若心経ではなく、般若天行?

【Q】三法行ではなぜ般若心経ではなく、般若天行を用いるのですか?

【A】般若心経には宇宙のリズムがそのまま凝縮され、生きとし生けるものにおける最高度の英知が備わっているとされています。

しかし、厳格な形式によって儀式化されている写経が、それを行う人に制約を及ぼすあまり、かえって畏怖心や崇拝心を呼び起こし、それにこだわるあまり、般若心経のもつリズムを体得しにくくしています。

神仏のように拝む対象やお願いする対象から自らを解放することで、大自然のリズムに沿いやすくなります。

「ただ、繰り返し、行う」ということを、単なる目標程度にしてしまうのではなく、根っこからそれを変え、実践を「ただ」=「般若」、「天・大自然の法則に沿って繰り返し行う」=「天行」という意味合いで「般若天行」を用います。

冒頭と末尾の文字が違うだけですが、しかしこの「経」と「行」の違いにこそ、最大の智恵が隠されています。

般若心経も般若天行も、その経文自体に救済力があるのではなく、人間自体がそれを活かせる方法で実践しなければ、どちらを用いても同じことです。

「心のお経」である「般若心経」から、願わず求めず「般若天行」を繰り返すことで、この智恵の言葉が活かされていきます。

三法行の中の1つ、法筆(般若天行)の体験

三法行の3つの行の1つ、般若天行の法筆を体験していただくことができます。

薄く書かれた文字の上を形式にこだわることなく、ボールペンを使って願わず求めず楽しく書きなぞります。
こちらから法筆用紙をダウンロードしていただけます。

法筆用紙をダウンロードする

般若天行を現代風にわかりやすくした七観行

自分を活かす智恵の言葉「般若天行」をわかりやすく現代風に表現したものが「七観行(ななかんぎょう)」です。

七観行とは、人間本来の姿、すなわち「人間はもともとよろこびの表現体」を表し、私たち一人ひとりの中にすべて備わっているものです。

その人間本来の姿「七観行」を繰り返し口ずさむことにより、不思議とプラスの観いがわき、いつの間にかよろこびや感謝にあふれた七観行そのものの毎日になっていきます。

日常生活の中で何か行き詰まったときなど、口ずさんでみるとよいでしょう。

七観行をダウンロードする

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